スタニワフ・レム睡眠

読んだ本とか見た映画とかの感想、他にも虚構とも妄想ともつかぬことをつらつら語ろうかと

備忘録

・文系が好きな理系の概念第一位はエントロピー第二法則だと思うのだがどう思われます?
・思うに風水というものは個人ではなく土地に対する精神分析なのでは?と
・前々からコンビニのLAWSONは律法の息子、つまりユダヤ系秘密結社の一支部だ!というネタを暖めていたがそもそも綴りが違ううえさっき伊藤計劃のブログをみていたら同じネタを呟かれてしまっていたので亡かったことにしようと思います。
・レムの完全な真空であなたにも本が作れますってのがあるけどこれ誰かアプリで再現してくれないかなぁ

アイアムアヒーロー

凄いもんを観た

まずは原作の話の時点でこの漫画は凄いのだがなにが凄いかというとTV版エヴァ並にばらまかれる謎やらそれまでのゾンビものでは見られなかった構図や表現とか色々あるけれど個人的に一番凄まじいのはその写実性、有り体にいうとリアルさである。絵もリアルなんだけど、キャラの描き方という点である。僕自身としては人間の心情を豊かに描いた、てな類いの謳い文句はあまり信用おけない。というか胡散臭く感じてしまうんだけど、アイアムアヒーローはカメラで撮ったような、世界をそのまま切り取ったような描きかたをしている。そこにあるのはあくまでも内面ではなくキャラごとの行動だ。花沢健吾はこのキャラはこういう性格だ!てなことを殊更に叫ぶのではなく、こんな行動するやついるよね?こんな発言するやついるよね?といった感じだ。そしてそれによって1巻まるごと使って写実的に描かれた日常が崩壊するプロセスと崩壊後の違う常識と倫理観で生きながらもそれまでの日常を引きずった行動をするキャラが丹念に描かれている。

映画は短いながらも日常からの崩壊というプロセスをきっちり描ききってる。圧縮しながらも原作のエッセンスを、こんな感じの奴はこういう行動するよなって感じを再現する。特に絵的なもので言えば前半の逃亡シーンとラストの銃撃戦は原作超え。してるかもしれない。前半の見せ場な逃亡はどこから来るのか解らないZQNは心底恐ろしいし、終盤の銃撃戦を終えた後の倒したZQNの死骸の山を前に英雄が立ち尽くすシーンは不謹慎ながらもとても美しいのだ。あのシーンだけでパンフレットは買う価値があると思う。原作のエッセンスを詰め込みながらよりゾンビものとしての出来を追求した(原作は傑作だがゾンビもの以外の要素での加点が多い感じ)最高の映画化だと感じた。

不満点もないことはない。ひろみが話を動かすのに都合の良いキャラになってたとこ。前半部分と後半部分を接続するためだけに出てきた感が少し残念。

その他
・キャストはまりすぎ、大泉洋の英雄を始めモブに至るまで外れが一人もいない。でも塚地の三谷さんは正直反則だと思うのだが……
・ZQNの眼がロイコクロリディウムに寄生されたカタツムリみたいでとても気持ち悪くて最高。
・ボウガンパクったはいいけど録に使いこなせないでZQNに食われるシーンとか細かいながらもよく考えられてた。まぁ普通奪ったばっかで馴染みのないボーガンじゃこうなるよなって感じ。

白鯨

スタバに行ったときに「知っているかい?スターバックスの店名の由来はメルヴィルの白鯨にちなんでいるって」とかなんとかその手のウェットに富んでる風なことを言いたいがためにこの本を手に取った。それが最初の理由である。

この本は何と表現すればいいのだろうか?中心がどこにでもあってどこにも表面のない球体?19世紀以降の我々のための新時代の聖書?ともかく一言で表現しようとするとそんな感じだ。

読中この本をこのように捉えた。この本は初代ゴジラだ、モービィ・ディックは実態を持った怪物であると同時に戦争・国家のメタファーでもあるんだ。さらに続けて読むとこのように捉えた。この本は旧約聖書だ。物語でありつつ百科全書的な書かれ方をしている(聞いた話によると旧約聖書はそれが編纂された当時は百科全書の役割も果たしていた)。さらに続けて読んでいきラストシーンにさしかかるとこのように捉えた。この本は虚航船団だ。多種多様な人間のカリカチュアとも言えるべきキャラクター達が大きな流れの前になすすべなく滅びさってゆく。そしてエピローグまで行着きその全体の構造を知りついに理解した。この本は、これらの自分が感じた直感によるものも含めた膨大な量の象徴を内包しているものだということを。


白鯨は円環構造、枠物語、などをはじめとした様々な手法、視点を輻輳的に集めてそれらを束ねることによって構成されている。それらがどのような方法で作品に取り入れられたか、については岩波版の解説を読んでもらえば解るとおもう。

恐らくメルヴィルが書きたかったものは実態のある鯨だし、国家のメタファーであるし、宗教や信仰であるし、歴史の循環性でもあるんだろし、それ以外のものでも何かしらの複数のそして横断的な巨大なテーマだろう。あまりに多くの書くべきテーマのあったメルヴィルはそれらを表現するために円環構造や枠物語を持ち出したのだろう。円環構造は作品に与えられたテーマを無限に続けさせる機能があり、枠物語にはテーマを圧縮し俯瞰させる機能がある。

それによってこの本を読むがわはどのようなテーマも見つけることが出来るし、この本は会わせ鏡のように自ずから象徴を形成していくことが可能になっている。

レヴェナント

アメリカ西部の原野、ハンターのヒュー・グラス(レオナルド・ディカプリオ)は狩猟の最中に熊の襲撃を受けて瀕死(ひんし)の重傷を負うが、同行していた仲間のジョン・フィッツジェラルドトム・ハーディ)に置き去りにされてしまう。かろうじて死のふちから生還したグラスは、自分を見捨てたフィッツジェラルドにリベンジを果たすべく、大自然の猛威に立ち向かいながらおよそ300キロに及ぶ過酷な道のりを突き進んでいく。

今年度一番の傑作かもしれん

まず映像、冒頭のインディアン達との戦闘シーンが素晴らしい。プライベートライアンの冒頭30分間のオハマビーチもかくやといわんやばかりの死屍累々ぷり、しかもそれがアレハンドロ監督のお家芸とも言える長回しでかかれているのだからもう言葉も出ないほどだ。グリズリーとの戦いも素晴らしい。あのシーンに関してはクマコワイとしか表現できない。

これらの特に素晴らしいカットは主人公のグラスが復讐を決意する前の、本筋に入る前のものではあるけれどこの時点で心を鷲掴みにされた、といっても過言ではない。

突出した画的な見せ場が終わってからはどうかと言うとこれもまた良いのだ。最愛の息子を殺され復讐のみに生きるデカプリオ演じるグラス。彼の息子を殺し逃避行を続けるトム・ハーディー演じるフィッツジェラルド、白人に拐われた娘を奪い返すために交渉で手にいれた馬を駆るインディアンの長。三者三様の動きを見せてそれがまた観客を魅せるのだ。

坂本龍一による音楽もまた作中の雰囲気にフィットしている。この映画ではタルコフスキーの映画のように自然が奏でる音もまたbgmの役割を果たしているのだが坂本龍一の音楽はそれを邪魔しない、寧ろ自然の環境音と坂本龍一の音楽は互いに高めあってそのどちらでもありながらそのどちらでもないものを作り上げているのだ。

またこの映画、この世界を覆っている雰囲気は突出してものであると思う。同監督の作品バードマンではラテンアメリカ文学的、マジックリアリズム的な演出、構成が用いられていたが今作でもそれが遺憾なく発揮されていた。夢とも現実ともつかない回送シーン、黄昏の空をバックに墜ちる隕石、それらの集合としてこの映画で描かれるアメリカはさながら実際にあったアメリカであってどこにも存在しないアメリカとなっている。さながらそれは百年の孤独のマコンドのような雰囲気である。

最後の最後で(回送も含めて)一回も涙を見せなかったグラスがあるものを見て涙を流すシーンは不覚にも泣きそうになった、て言うか泣いた

その他のこととしては
フィッツジェラルドがいい感じに真性のクズ、極悪人というよりもクズ。あれを演じたトム・ハーディーは凄い。
・どうも史実だと子供を殺されたとかなさそうなんだけど監督がいれたのかな?毎回家族をテーマにしてるし→アレハンドロ監督
・グラスが1度殆ど死んで復活したのはやっぱりキリストモチーフかね